-
1ヶ月経ち・・・・その後。
投稿日 2019年3月17日 19:29:15 (Louis Vitton)
-
☆徳島県産鳴門金時の焼きいも☆
-
☆ROYCE'40周年フェイラーコラボ☆
-
☆COSTCO調達食材でおうちごはん晩ごはん☆
-
☆充電完了東京へ帰ります☆
-
☆親友の快気祝いのプレゼント☆
-
☆半年くらい気になっていた自販機☆
-
☆モランボン旨塩から揚げの素☆
-
☆おでかけコーデ☆
-
☆噂通り美味しかった業スーのスパイシーカレーチキンレッグ☆
-
☆カタラーナ☆
-
☆HERMESハンドタオル☆
-
☆スタバGOHOBI MELON☆
-
☆六本木樓外樓飯店@小田急ハルク&中山美穂コンサート☆
-
☆丸福珈琲店珈琲ゼリー☆
-
☆おうちお一人様ランチデパ地下風サラダランチ☆
-
☆ROYCE創業40周年'×フェイラーコラボお買い上げ☆
-
☆池袋東武魚力鮭の切り落とし☆
-
☆焼肉やっぱ。中野新橋本店@夫のお誕生日ディナー☆
-
☆妹から聞いていた三島ふりかけの新作しげき☆
-
☆フェイラー新作ライブラリーパンジー☆
-
☆オキガルバルポポラーレで夫のお誕生日ディナー☆
-
☆立ち寿司横丁高円寺で夫のお誕生日ランチ☆
-
☆夫のお誕生日☆
-
☆ザ・ガーデン自由が丘で見切り品GET☆
-
☆名物こぼれるおはぎ☆とげぬき福寿庵☆
-
☆FEILERパリ限定☆
-
☆池袋東武デパ地下調達品でおうちごはん晩ごはん☆
-
☆母に贈り物☆
-
☆GU特別価格で全色ポチる☆
-
☆東京ドーム巨人×広島戦行ってきました☆
あれから1か月経ちました。
救急搬送されたとき、自脈は20~30でした。
心房完全ブロックといって、心臓を動かすための電流が完全に遮断された状態で
普通は、こうなると正常な自脈をうつことは不可能なので
恒久的にペースメーカーを入れることになります。
けれど、全身状態を考えるとペースメーカーを入れることにもそれなりのリスクがあり
主治医も私も決めかねた状態で、
とりあえず週明けを待つことに。
週が開けて・・・・奇跡的に自脈が戻りました。
もちろん薬は使っているのですが、応急的に入れた対外ペースメーカーを外しても
60/分程度の脈をうっているので
しばらくそのまま様子を見ることになりました。
意識はあり、若干嚥下障害はあるものの食事も介助なく食べることができていました。
数日間、ICUに隣接した初期治療病棟というところにいましたが
せん妄(環境が変わったことによって認知障害が起こる)がひどく
夜中に叫ぶことが続き、
この状態では大部屋は無理だということで個室に入って欲しいと言われました。
1日6480円。
病室が変わってもしばらくの間は、見当識障害があって
夢と現実の区別がつかなかったり
今日は家から病院に来たと言い張ったり
そうかと思えば、次の通院の予約だけは覚えていて、財布と着替えをもってきてほしいと言ったり。
大抵は一時的なものらしいけれど、高齢者の場合そのまま認知症になることも多いそうです。
病状は、脈に関して言えば
その後、頻脈に転化し、150/分くらいになりました。
もともと血流をよくする薬を飲んでいたため、この状態が続くと血管から血液がにじみ出てくる形の
出血を起こす可能性があり
かといって薬を減らすと血流が悪くなり脳梗塞のリスクが高くなる
主治医も薬の量の調整に四苦八苦しているようでした。
その間も寝たきりの状態は続き・・・・筋力がどんどん落ちていくため
目に見えて衰弱していきます。
自分で寝返りをうつことも、水を飲むこともできないため
それらを望めばナースコールするしかなく、ひっきりなしにナースコールをするため
看護師さんたちを悩ませていました。
私が行くと、「ブザーを持って行かれちゃった」と訴えてきます。
寝ている母の目に入らないところに置かれているだけで、持って行ったわけではないのだけれど
手が届かなければ持って行かれたと同じ。
そして、呼んだら来てくれるようにするためにはお金を渡さないといけないと言って聞きません。
私のストレスもだんだんと蓄積してきます。
先週の金曜日、主治医から
ここ3日ほど脈が遅い状態が続いている。そのせいで腎機能が落ちてきている
まだ、食事がとれるのと、カリウム値が落ちていないのが幸いだけれど
もうあまり長くないだろうと宣告されました。
ただ、苦しむことなく眠るように逝けると思いますよ、と。
覚悟を決め、入院した日以来一度も病院に来ない兄に連絡し
意識があるうちに来て欲しいと伝え
もし忌引きに入ったときのために前倒しして仕事を片づけていったり。。。。と
そんなことをしていましたが
それから再び脈は戻り・・・・現在に至っています。
ただ、食事がとれなくなりました。
嚥下障害が重くなったので、サラサラとした状態の水はもう飲めません
とろみ剤を入れてゼリー状にしたものをスプーンで一口ずつ飲ませています。
自分の唾液を飲み込むことも難しいので吸引が欠かせません。
声を出す力が落ちてきたので、何か言いたいことがあるようだけれど
どうやってもそれを聞き取ることができず、それが可哀想でなりません。
看護師もいろいろで・・・・ほんとうに親身になってやってくださる方もいれば
どうせもうよくならないのだから、といわんばかりのぞんざいな態度の方もいます。
ナースコールに対しても、話をきこうともせず
「おむつはずさんでよ、もうすぐご飯だからおとなしくしてて」とだけ言って出て行ってしまいます。
食事の時も「おねがいしますね」とトレイをどんっと置いただけで
その後、食前の薬を忘れたからと、錠剤のまま持ってきて
「はい、飲ませてくださいね」と私に渡して行ってしまいました。
もちろん、たくさんの患者さんがいて、頻繁にナースコールする母は面倒な存在なのだろうけれど
動けないのだから仕方なのではないか?
2月分の入院費を見たら、その分(介助)の費用もちゃんと請求されている
ボランティアではなく仕事だろうと、納得いかないのですが
「じゃあ、ご家族がここに寝泊まりしてついていてください」と言われても困るので
我慢しているしかないのです。
そして。
「年度末で忙しいから病院には行けないけど、頼むな」と言うだけの兄。
あんたにだけ年度末が来ているわけではない
私だって年度末で忙しいんだ?!
休みなく働いているわけではないでしょう!!
家から病院が遠いわけではないし、ほんの30分の時間が取れないわけはない
要は気持の問題。
100歩譲って面会時間に間に合うようには仕事が終わらないとしよう。
だったらせめて、金銭的な援助をしてほしい。
いや、困ったら遠慮なく言ってくれよ、のひと言で良い。
個室を出ることは難しいから、3月分の入院費は医療費を含めて25万近くなるだろう。
それ以外にも、とろみ剤やおしり拭き、入れ歯洗浄液、はぐきのブラシなどなど
消耗品はこちらで用意しなければならず
ひとつひとつは千円足らずだけれど塵も積もれば大きい。
病院の駐車場代だって1回300円だ。
私は私で生活していかなければならず
母の遺族年金だけでは半月分の入院費にしかならない。
たしかに兄は母の実子ではないけれど(私の父母は再婚同士で母の実子は私だけ)
でも10歳から35歳で結婚するまで育ててもらったんだろうし
そもそも実父である父の最期も私が看取ったんだ。
入院費、葬儀代、お墓代その他もろもろ、全部私がやったんだ。
そんなこんなで、ストレスピーク。
入院していてこんな状態なら、自宅介護している人のご苦労は察して余りある
介護うつが他人事ではないと強く感じているこの週末だった。
当の母は、
とろんとした目で口を半開きにして、何を考えているんだろう
いやもう、何も考えていないのかも知れない
私を認識することはできるけれど、いろいろ判断することはもうできない。
ナースコールが手元になければ
どこからそんな声が出せるんだろうという大きな声で
「おい!おい!!」と叫んでる。
どんなに叫んでいても、どんなにナースコールしても、ほぼほぼ無視されている状況。
あのとき、体外ペースメーカーを埋め込んでもらっていたら
元気になって退院できるようになったんだろうか?
もう「たら。れば」でしかないけれど。
「今の状態で、このまま何ヶ月も、ということはありますか?」
(このまま何ヶ月もということになると転院あるいは施設入所ということになるので)
「それは、ないです」
(ということは、最期まで病院で看てくれるのですね?)
ゆっくりとスロープを降りるように、死に向かって進んでいるのだということだと思います。
そのスロープを降りきるのがいつなのかは、わからない。
また、突然崖があってそこから転落することがあるかもしれない。それもわからない。
ただ、もうダメだと思った脈がまた復活した、その生命力はすごいと思う、と。
「選ばれし者」だと表現していました。
あの状態を見続けていることは、ほんとうに辛い。
たまーーに来て、寝ている状態だけを見ているだけの次男。
救急搬送した日と宣告された翌日ちょっと顔を見せただけの長男。
大声で叫んでいるところも見てなければ
食事を食べさせることもしないで、いったい何がわかるというんだろう、
先の見通せない「最期」までの道のりが、どれほど辛いかが。
まぁ、こんな1か月でした。
ずーーーーっと頭痛がしています。
鎮痛剤も飲みすぎてもう、効かなくなってきました。
まだまだ、甘いんだろうけどね。
世の中にはもっと長い時間、大変な思いをしている方がたくさんいる。
それはわかっているけれど。比較の問題ではないんだ。
Source: さらだ日和
最新情報